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津和野伝統的建造物群保存地区

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 津和野町後田の橋北地区の一部は平成 25 年 8 月 7 日に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されました。

 当地区、津和野伝統的建造物群保存地区の位置する津和野城下町橋北地区の歴史は16世紀まで遡ることができます。発掘調査した結果や地名「後田」と呼ばれていることから、中世以前は城の西側が人々の生活区域であり、当地区のある東側には田畑が広がっていた区域である可能性が高いと思われます。そのため、当地区のまちなみの発生は江戸期から始まります。
 江戸期以前の吉見氏の時代では、前述のとおり城下町は西側にあったと伝えられており、江戸期に入り岡山から坂崎氏が津和野に入り当地区の城下町としての整備が本格的に実施されました。坂崎の治政の16年ののち、亀井氏が鹿野(現:鳥取市鹿野町)から入城し、現状に続く地割整備を完成させました。
 幕末、嘉永の大火(1853年)が城下町全域に及び、現状のまちなみはそれ以降の建物で占められています。大火直後幕末期の建物として殿町の旧津和野藩家老多胡家表門と藩校養老館野校舎の一部(武術棟)、町家の分銅屋とささや呉服店などが現在まで残っています。

 

 城下町として整備した江戸初期からの地割り、幕末から昭和初期の建造物群等から構成される歴史的風致(まちなみ)を未来に受け継ぐために、保存や整備をする手助けを行政では行っております。

 当地区の保存計画、住民や所有者向けの手引きおよび修景デザインガイドがダウンロードできますので、ご確認ください。(ダウンロードは下部)

手引き画像  デザインガイド

外部リンク:

伝建協ロゴ全国伝統的建造物群保存地区協議会(伝建協 でんけんきょう)

津和野文化ポータルバナー津和野文化ポータル(津和野町教育委員会管理HP)

津和野文化ポータル「津和野伝統的建造物群保存地区」ページ

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