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NPO法人さぶみの10周年記念の集い(令和4年8月6日)

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NPO法人「さぶみの」が設立10周年を迎えられ、記念の集いにお招きを頂き、ごあいさつをしてまいりました。
「集い」との言葉の通り、これまでに「さぶみの」が活動を通して築いてこられたネットワークの中から、ご縁のある方々が各地からお祝いに訪れておられる様子がうかがえました。
「さぶみの」の志ある活動が情報発信につながり、新たな関係者を生み、それが活動の進化にフィードバックされて行く好循環につながっていると拝察しております。
「さぶみの」では、「山のこども園うしのしっぽ」による保育園の運営を中心に、旧左鐙小学校校舎を活用しての教育関連事業、左鐙地域のまちづくり活動など、意義ある取り組みを主体的に行ってこられ、頭の下がるおもいであります。
当日は、森鷗外没後100年の記念事業を開催した日でもありました。
森鷗外は、「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」との一節を遺言として残しております。
石見の人とはどのような人物を表すのだろうかと常々考えていた中で、錦織監督による映画「高津川」が製作され、その映画を鑑賞したときに、登場する人物達が総じて石見の人を象徴しているとの感想をもちました。
「やさしい映画が出来ました」のサブタイトルの通り、少しぶっきらぼうで決して社交的ではないけれども、温かい心と優しさを持つ~もっと適切な表現があるかもしれませんが~それが石見の人と言えるのではないかと思っております。
合わせて優しさとは、心の強さをもっているからこそ出せるものであり、心の強さは自らの揺るぎない価値観と信念をもっていることに裏付けられていると考えます。
そして、森鷗外はそんな石見の人間の特性を認めたうえで、「石見人」への愛着と誇りを持ちながら、あの言葉を遺したと私なりの思い込みをしております。
本年没後100年を迎え、全国の研究者の先生方に鷗外講座としてお話をして頂いておりますが、共通しているのは、鷗外作品に込められている社会に対するメッセージを読み解くことの面白さであり、作品を読み解くことを通して、人間としての持つべき価値観や生き方を学ぶことにつながるというものであります。
特に社会が進歩しながらも混沌としている現代にこそ鷗外作品は読まれるべきであり、これからの時代に一層脚光を浴びるとのお話を頂いております。
私は、森鷗外が示す人間性は時代が変わっても普遍であり、特にこれからの時代に輝きを増すということを考えた時に、森鷗外が理想とする人間像は「石見人」であり、石見の人を生み出して行くことが、本町で進めている「0歳児からのひとづくり」の目指すべき姿と言えるのではないかと思っております。
石見の人を生み出して行くためには、長い歴史の中で培われた石見ならではの風土を舞台として、地域とのかかわりの中で、子どもから大人まで共に学び合う保育や教育が展開されることが重要であり、進めようとしている「0歳児からのひとづくり」の方向性に間違いはないと信じているところでもあります。
「さぶみの」の活動の柱である「山のこども園うしのしっぽ」は、映画高津川の舞台となった豊かな自然を学び舎として、子どもの自主性を尊重した日々の活動を見守りながら、人間力の育成を行っておられ、それはまさにこれからの時代に求められる石見の人をつくる尊い活動に他なりません。
鷗外没後100年のセレモニーを終え、そのまま「さぶみの」の10周年の集いに参加した私ですが、森鷗外が素晴らしい活動をされている「さぶみの」に対して、エールを送る伝達役を託された、そのような思いでごあいさつをさせて頂きました。
改めて、NPO法人「さぶみの」の益々のご活躍をお祈りいたします。
森鷗外とその作品への受け止め方については異論を唱える方もおられるかもしれませんが、「0歳児からのひとづくり」へトライして行く私が信念を揺るぎないものにして行くために、思いを自らに込めたものであり、温かく受けとめて頂ければ幸いです。

NPO法人さぶみの10周年記念の集い

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