ここから本文です。

〜株式会社アドレス・金山さんインタビュー〜

  • このページを印刷

〜株式会社アドレス・金山さんインタビュー〜

1

株式会社アドレスの津和野オフィスの前で

 定額制の全国多拠点居住サービス「ADDress」を運営する株式会社アドレス(以下、アドレス)が2021年5月、津和野町にサテライトオフィス「津和野オフィス」を開所しました。ADDressは人口減少と空き家の課題解消を目指した社会的サービスです。増え続ける全国の空き家を再活用し、全国を旅するように暮らしたい会員向けに、共同住まい(シェアハウス)として提供しています。行ったこともない地方やこれまで縁のない地方の家でも、ADDress会員になることで滞在することができ、「関係人口」を創出するサービスとして今、注目されています。150年前の街並みが今も残る町「津和野」。山陰の小京都と呼ばれ、緑の山々に囲まれた赤い石州瓦の集落が目を惹き、どことなく懐かしさを思い起こす歴史ある町には、国内外から数多くの観光客が訪れます。高層ビルや国道沿いに大型チェーン店が立ち並ぶ都市部のにぎやかさとはほど遠く、だからこそ都会とは異なる魅力を放つ非日常的な環境を求めて、人は津和野を目的地とするのかもしれません。

 アドレスのオフィスが立地するのはJR津和野駅から徒歩15分、メイン通りの「殿町通り」を抜けた先にある推定築160年以上の古民家で、町民には文房具店や石州和紙問屋の「喜多屋」として広く知られた店舗をリノベーションしました。アドレスが入居する前はしばらく空き家のままでしたが、建物としての希少性や後世に残したいという思いから修復作業を行い、和モダンな空間へと生まれ変わりました。オフィス物件の改修費用の他、社員の出張旅費やインターネット回線費用の一部は補助費として、津和野町の立地制度を活用しています。

 津和野オフィスの施設は、同社が運営する「ADDress」に登録する物件(=2022年7月時点で全国234物件)の1つでもあります。多拠点居住用の住まい「ADDress津和野A邸」として、全国から多種多様な会員が津和野にお試し滞在をしにやって来ます。また、同施設には島根県立大学のサテライトオフィスも入居しており、同大学とアドレスの連携事業も行っています。

 また、同施設には島根県立大学のサテライトオフィスも入居しており、同大学とアドレスの連携事業も行っています。

 今回インタビューするのは、アドレスの津和野オフィスで働く正社員の金山豪志さんです。金山さんは津和野生まれ津和野育ちの30歳で、2021年10月にアドレスへの転職を機に2度目のUターンをしました。津和野での生活と働きがいについて、お話をお聞きしました。

津和野町でどのような仕事をしているのですか?

 カスタマーサクセス本部の社員として、ADDressを通して多拠点生活をする会員さんのサポートを行っています。会員さんに気持ちよく全国のADDressの物件で暮らしてもらえるよう、利用のご案内や困った時の問い合わせ窓口業務の他、時に会員さんと直接コミュニケーションも取りながら、仕組みの改善点をヒアリングするなどしてサービスの向上に取り組んでいます。

 勤務時間は平日の朝9時から6時です。ADDressは住まいのサービスで、全国に展開していることもあり、災害時などの緊急対応が入ることもありますが、基本的には残業はほとんどなく、定時時間内で働いています。また、社員・スタッフは福利厚生としてADDressを利用できるので、自分も時々東京や神奈川へ行くなど多拠点生活を体験しています。

 今は津和野オフィスから車で片道10分くらいの実家で生活していますが、津和野にUターンしてから美味しいものを食べ過ぎて少し身体が重くなってきてしまったので、最近では片道20分かけて自転車通勤を始めました(笑)

2

津和野オフィスで仕事をする金山さん

なぜ、津和野で転職をしようと思ったのですか?

 私は島根県立大学を卒業し、新卒の頃からずっと島根県内で就職したいと思っていました。そのことを知っていた元副学長でゼミの担当教員だった恩師の故・井上厚史先生から、アドレスの求人情報についてお声掛けいただいたのがきっかけです。井上先生は学生たちと津和野でのフィールドワークを実践していて、アドレスの津和野進出をきっかけに、アドレスと連携事業も主催していました。だから、アドレスで求人募集をしていたこともいち早く知っていて、私にご紹介してくれたのです。

 大学の卒論テーマで「廃校活用」を研究していたこともあって、先生の頭の中で「廃校(空き家)活用=金山=ADDress」というイメージがあったのだと思います。学生の頃に私が取り組んでいた研究のこと、私が地元で働くことを希望していたことなどを思い出してくれたのでしょう。

 今でもよく覚えていますが、2021年の6月下旬の深夜1時に先生からLINEのメッセージが入りました。「お前、転職する気はあるか?津和野に帰って来られるぞ」と。その時はすぐに「詳しい話を聞かせてください」と返信したものの、びっくりして眠れなくなりました(笑)。ただ、信頼のおける先生だったので、先生からの連絡はきっと悪い話ではないんだろうなと思いました。後日、井上先生がすぐにアドレスの経営陣と繋いでくれて、上長とのオンライン面談を経て採用されました。

 津和野で実際に働き始めたのは2021年10月25日からです。

3

金山さんの大学時代(中央)。友人たちとの一コマ

以前から、津和野にUターンしたいと思っていたのですか?

 もともと新卒の時は、島根県内で就職することを希望していました。

 純粋に「島根が好きだから」です。都会に出たいという意欲がそこまでありませんでした。その時は都会というのを知らなかったから、というのもあるのかもしれません。島根県内には友達もいっぱいいますので。

 「島根県内で働ける」条件で絞り、業界は異なりますが3つの企業から内定をもらいました。最終的に、「ウェルネス湖北(株式会社ツルハグループ ドラッグ&ファーマシー西日本)への就職を決めました。大学時代にスーパーマーケットでアルバイトをしていて、お客様相手の商売や店舗運営が自分には向いていると思ったからです。

 新人は実家の最寄り店舗からスタートするという話を聞いていたので、津和野に隣接している益田市の店舗配属になり、実家から通勤することになるだろうと勝手に予想していました。しかし、経営的な諸事情があり、最初の配属は鳥取県米子市に。いきなりの県外勤務となりました。

 ただ、1年半後には実家から車で20分程の山口県山口市の新店舗立ち上げに駆り出され、1度目のUターンを経験しました。実家から近い職場で嬉しかったのですが、3ヶ月で同県萩市の店舗に異動となり、車で1時間かけて約1年半通勤しました。その後は福岡県内の店舗に異動となったため、津和野を離れて福岡での生活を始めました。福岡県内を転々と配属されるうちに、初めての都会生活にびっくりしながらも楽しく働いていたので、そのうち「もう津和野に戻ることはないのかな」と思うようになり、転職するなど考えもしませんでした。

5

金山さんが育った津和野町の畑迫(はたがさこ)地域 

 そもそも、新卒当時の津和野には若者が好む目立った企業がなく、雇用も少なく、仕事のバリエーションが少ない、と何となく思っていたのです。
友達も津和野を出て就職してしまっているし、津和野に戻って来る人は役場に就職するか農業を継ぐか、仕事の選択肢が限られているように感じていました。私も「津和野に戻るとしたら公務員しかないかな」と漠然と考えていました。

 なので、恩師の井上先生から思いがけず、地元・津和野のIT企業で働くチャンスを紹介していただき、感謝しています。

 オフィス勤務でパソコンに向かい、slackやmeetなどオンラインツールを使いこなしながらコミュニケーションを取る仕事のスタイルは、対面のみの前職とは全く異なります。

 入社当初は専門用語が飛び交い、学ぶことに必死でしたが、「どうしよう」とか「できない」と感じたことはありませんでした。同じチームの先にIターンしてきた先輩社員に、親切に教えてもらえたからです。

 今の仕事は会員さんからのお問い合わせ対応が中心で、時に重たいケースが浮上することもありますが、チームの皆で相談して乗り切ってきました。最近は関数を扱ったデータ整理にも触れながら、日々新しいノウハウを習得しています。

5

津和野オフィスメンバーやアドレスの町外から来たスタッフたちと食事をすることも

津和野では、若者や地元住民同士の交流機会はありますか?

 津和野の魅力は「人との近さ」です。小さな町ですが、交流機会は多い方だと思います。

 津和野町で女性議員として活躍している「大江梨(れい)」さんが主催している「夜糧(よる・かて)」という交流会に、先月(2022年6月)初めて参加しました。大江さんの旦那さんがオーナーで、大江さんも従業員として働いている町内のレストラン「糧(かて)」に集まり、住民同士の交流を目的とした食事会です。コロナ以前から月1回くらいの頻度で開催されていたとのことで、2年ぶりの会だったそうです。

 津和野に住む人はほぼ知っていると思い込んでいたのですが、ほとんどの参加者が知らない人たちばかりで、「こんなに若い人がたくさんいるなんて!」と驚いたものです。地域おこし協力隊や高校魅力化コーディネーターとして町外からやって来た20〜40代の若者がたくさん参加していました。

 「夜糧」での交流をきっかけに、毎週水曜日と第3土曜日に開催している「ソフトバレー」のクラブ活動にも誘っていただくことができました。

 町内のクラブ活動は他にもあって、私は実家のある「畑迫(はたがさこ)」地区の『つわぶき』という卓球クラブにも所属しています。出身校でもある畑迫小学校の敷地内にある新しい体育館を使って、シニア世代の住民たちと、毎週火曜日と金曜日に卓球をしています。

 Uターンしてから、地域の人と関わることが増えたように思います。

 ただ、きっかけとなる交流の場がないと入りづらいコミュニティかもしれないので、「夜糧」のようなイベントは嬉しいです。

6

邑輝(むらき)の複合施設「医食の学び舎(や)」にあるレストラン「糧(かて)」

最後に、金山さんが考える津和野の魅力を教えてください。

 津和野には、日本遺産として登録されている「津和野百景」に描かれた、昔から変わらない美しい景色が残っています。また、太皷谷稲成神社や津和野城跡など観光名所も多く、文豪・森鴎外や画家・安野光雅など歴史的な偉人の出身地としても知られています。

 そうした「津和野の良さ」はまだまだ活かしきれていないので、それらの財産を活かすことで、町外から企業や移住者、滞在者を呼ぶチャンスは大いにあると思います。

 私が働く津和野オフィスは、全国のADDress会員が日々滞在しに来る「ADDress津和野A邸」の施設内にあります。普段、ADDress会員さんと話す機会も多く、外から来た人たちは津和野の魅力を語ってくれます。彼らは「津和野には大きな宝がある」と思ってくれていますが、地元住民にとっては「当たり前の風景」に見えてしまうので、『大きな宝』になかなか気付けていません。
 だからこそ、町外の人や都会の企業に来てもらうきっかけを作り、大きな宝を掘り起こすことに繋がればと思っています。津和野はもっと盛り上がり、活性化すると信じています。

7

津和野百景の一つで鷲原八幡宮にある大きな一本杉の前で

【参加企業募集】津和野町で進出検討する企業向けの現地視察ツアー

津和野町に本社移転またはサテライトオフィスやテレワーク・ワーケーション施設の立地や開設を検討する企業を対象に、現地視察をコーディネートします。

「都会とは違う地方でこそ、地域の社会課題に寄り添いながら事業を拡大したい。新しい社会事業に取り組みたい」

そんな企業の経営者に、まずは津和野に来て、津和野を見て、津和野を体験してもらいたいと思っています。

現地にお越しになる前に、今後の展望やご要望などをオンラインでヒアリングします。その上で、適切な現地視察のスケジュールを調整し、企業訪問やオフィスや住まいの候補先探し、ハローワークなど人材紹介機関のご案内などを1泊2日の行程で企画提案します。

令和4年度中の早期進出(もしくは進出確定)を検討している企業については、現地視察に関する旅費交通費の補助を行っています。詳しくは下記のエントリーフォームにご記入の上、ご相談事項をご記載してください。

このページを見た方はこんなページも見ています

    Contact

    このページに関する
    お問い合わせ先

    本庁舎 つわの暮らし推進課
    入力フォームによるお問い合わせ

    このページに関するアンケート

    このページは見つけやすかったですか?
    このページの内容はわかりやすかったですか?
    このページは参考になりましたか?