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外観写真  森鴎外記念館は、独立した鴎外の専門的な記念館としては世界で初めてのものです。記念館は国指定史跡・森鴎外旧宅の南側に隣接し、鴎外旧宅を展示物の一部として取り込んでいます。建物は鉄筋コンクリート造二階建で、一階部分は受付、事務室、展示室、二階部分は収蔵俸、会議室、学芸員室、資料閲覧室で構成されています。
 記念館は鴎外の生活や作品等の貴重な資料を通して、より一層幅広い鴎外像を紹介し、人々の鴎外文学への親しみと理解を一段と深めるとともに、マイクロフィルムに収められた約3000点にものぼる書簡などを閲覧出来るなど、数多い鴎外研究者のニーズに応えることができる機能を備えています。また、町内の児童、生徒に対しては鴎外の諸資料を通じて歴史的、文学的視点からみた津和野の姿を明らかにし、地域の文化向上に貢献する役割を果たしています。
 

 



 鴎外写真

森鴎外(もりおうがい/1862〜1922)

 森鴎外は、軍医、帝室博物館総長兼図書頭(ずしょのかみ)、小説家、評論家、翻訳家、本名林太郎、別号、観潮楼主人、千朶山房など。 文久2年l月19日、現在の津和野町町田に生まれました。 明治5年上京、14年東京大学医学部卒業後、軍医の道を進みます。 明治17年から21年までドイツヘ留学し、この西欧体験は鴎外の教養と見識を深め、帰国後医学界、文学界の改新のために発言していきます。 明治20年代の封建的風土や土壌の中で、鴎外の発言は衝突せざるをえません。 しかし、啓蒙的改革こそ、西欧を見てきた知識人の責務であると考えます。特に「即興詩人」の翻訳は鴎外の名声を高めます。 日清戦争に従軍。 32年小倉へ転勤を命ぜられ、35年までこの地で過ごします。 鴎外にとって不本意な転勤でしたが、この地で自己修養につとめ、やがて東京の第一師団に戻り、日露戦争に従軍することになります。 40年軍医総監陸軍省医務局長に就任し、軍医としで最高の地位(中将宮相当)官につきます。 42年雑誌「スパル」の創刊を契機に再ぴ創作活動が活発になり、いわゆる豊熟の時代を迎えます。「半日」「ヰタ・セクスアリス」「雁」「青年」等を発表し、小説家として漱石とともに明治文壇に確固たる地位を築きます。 若き日の結婚、離婚を経て、小倉時代に再婚します。 子供たちに限りない愛情をそそぎながらも、母と妻との衝突に悩みつつも一家の団欒のために誠実に対処していく鴎外。 一方、医務局長として、組織や人事面でも問題を抱えつつ、時には、にがにがしい思いもしている鴎外。 鴎外はこのように〈私〉と〈公〉のみならず、作家と軍医という二つの人生を生きていきます。 そのことは個と組織、伝統と革新、西欧と日本という様々な問題の中に身をおくことになります。 明治天皇崩御、乃木殉死を契機に歴史小説の世界を拓き、晩年には史伝文学という新しい分野を開いていきます。 死に及んで「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」という遺言を残して、大正11年7月9日に永眠しました。 享年60歳。




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島根県鹿足郡津和野町町田
tel.0856-72-3210 fax.0856-72-3307

開館時間 am9:00〜pm5:00
    (受付は 4:45まで)
休館日  毎週月曜日
    (但し季節によって無休)
入館料  一 般 600円(500)
     中高生 400円(250)
     小学生 250円(120)
( )内の数字は20名以上の団体金額

津和野町教育委員会では、固有名詞である鴎外の「鴎」の字は、可能な限り旧字体で表記するよう努めています。鴎外の「鴎」の字の編は、「区」ではなく「區」と表記するべきところですが、コンピュータの仕様上、旧字で表記することが困難ですので、やむを得ず新字体を使用しております。

http://www.tsuwano.ne.jp/town/