本館は、日夜変貌をとげている国内外のさまざまな出来事を、写真を通じて身近に紹介する場として設置されました。
 その主旨にそって、写真は、一瞬の出来事から忘れてはならない歴史の痕跡までを忠実に記録している報道写真という分野を、本町出身で、報道写真家として第一線で活躍されている桑原史成氏の写真を中心に展示しています。
 私たちの記憶の奥に埋没している歴史の一コマーコマを、来館者の皆さまが、展示写真からその記憶に再現していただけたら幸いです。

桑原 史成
くわばら しせい
 
桑原史成写真展 第1期

桑原史成の故郷 - 津和野 -

2023.4.21~2023.7.19
※休館日:木曜(5/4は開館)
 
                                           ©桑原史成
 桑原史成写真美術館の今回の展示は「桑原史成の故郷 -津和野-」を展示します。
 
今回、展示の写真展は、風光明媚な「山陰の小京都」ではありません。いささか恣意的、また偏狭的な構成の企画展になっているかも知れません。
 僕が生い育った寒村、言わば辺境の地、今では地名も地図には残らない旧木部村での暮らしぶりをも取り上げました。瀬戸の裏山を超えると山口県(現:萩市)、そして益田市の遠隔地の農村部です。夏季の海水浴は須佐や江崎の海岸に歩いて日帰りしていました。JR津和野駅に行くより近いのです。
 村人の生計は農業と林業でしたが、他に半世紀前に閉鉱した笹ヶ谷銅山がありました。この銅山は弘安年間(1200年代の後期)開鉱し1971年に閉鉱しています。実は銅山から公害のヒ素が出ていて問題になってしまいました。僕が小中学生の頃が鉱山の最盛期で、従業員とその家族数は約1,500と言われていました。経営は大手の日本鉱業で、封切りされた新作の映画が津和野の城下町より早く上映されいました。僕たちガキ(子供)はカンテラ灯火(カーバイトガス)を提げて観に行っていたものです。
 僕は中学生の時からカメラを持ち、そして津和野高校時代、その後は帰郷の折に、「平成の町村合併」後の津和野も撮影する機会がありました。併せておいた父母をも記録した極めて個人的なドキュメント写真です。
                                    報道写真家 桑原 史成
SHISEI KUWABARA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY