本館は、日夜変貌をとげている国内外のさまざまな出来事を、写真を通じて身近に紹介する場として設置されました。
 その主旨にそって、写真は、一瞬の出来事から忘れてはならない歴史の痕跡までを忠実に記録している報道写真という分野を、本町出身で、報道写真家として第一線で活躍されている桑原史成氏の写真を中心に展示しています。
 私たちの記憶の奥に埋没している歴史の一コマーコマを、来館者の皆さまが、展示写真からその記憶に再現していただけたら幸いです。

桑原 史成
くわばら しせい
 
休館日の変更について(お知らせ) 
  2022年8月1日(月)より桑原史成写真美術館の休館日を次のとおり変更いたします。
 みなさまには、ご不便をおかけしますがご理解いただきますようお願いいたします。

 〇変更後:毎週木曜日(祝祭日を除く。)、12月29日~31日 
 
 ※ご来館のみなさまへお願い
 新型コロナウイルス感染症の感染予防のため下記について、ご理解・ご協力をよろしくお願いいたします。

 ・発熱(37.5℃以上)、咳、のどの痛みなど風邪の症状や倦怠感がある方は、ご来館をお控えください。
 ・全ての方に、マスクの着用をお願いしております。
 ・館内では、他のお客様と十分な距離を開けていただきますようお願いいたします。
 ・入館時の手指の消毒やこまめな手洗いの徹底をお願いいたします。
 
桑原史成写真展 第4期

いのちの物語 水俣

2023.1.20~2023.4.19
※休館日:木曜(2/23は開館)
 
                                               ©桑原史成
 桑原史成写真美術館の今回の展示は「いのちの物語 水俣」を展示します。
 
昨年の秋、写真集『いのちの物語 水俣』を出版しました。僕が不知火海の沿岸で発生していた“奇病”・その後に「水俣病」と言われる公害問題にカメラを向けたのは1960年(昭和35年)の夏からです。  それ以降、今年で63年を迎えようとしています。水俣市の化学工場から排水された廃液(有機水銀)によって未曾有の公害事件が発生したのです。認定された患者数は約3,000人、それに加え障害(疾患)が軽い被害者数は、約67万人とされています。水俣病の怖さは、不知火海で獲れた魚介類を食べた人に留まらず、その魚を一口も食べた事のない乳児まで被害が及んだのです。
 九州の水俣市(熊本県)には、新日本窒素(後にチッソに社名を改称)の水俣工場があり、肥料や塩化ビニールなど近代の工業原料を生産していました。それらの製造過程で触媒として使われたメチル水銀(有機)が原因物質です。
 1956年に奇病(水俣病)が公式に確認され、既に67年になろうとしています。実際の発病は、それより前の1930年代からと言われています。魚を直に口にしていない乳児が母親の母胎で水銀汚染されていたのです。出生した奇病の乳児の数は定かでありませんが、死産も含めて数百人に及ぶと考えられます。生まれながらの犠牲者(患者)を「胎児性患者」と言います。
 水俣病事件の元年とされる195651日の前後に出生した胎児性患者は、今年で60代の半ばと言うことになります。現在、生存している胎児性患者の正確な数は定かでありませんが20名ぐらいです。
 この度の写真集『いのちの物語 水俣』の出版は、水俣で起きた公害事件を知らない若い世代の読者向けに編集を試みました。
 小・中学生、また高校生の皆さんに、是非ご覧頂きたいのです。

 
                                    報道写真家 桑原 史成
SHISEI KUWABARA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY