グラントワで開催された柿本人麿没後一三〇〇年祭の記念式典にお招きいただき、出席をしてまいりました。
三十六歌仙の一人であり、歌聖と称えられる柿本人麿は、万葉集をはじめ現代においても崇拝される多くの作品を残しておりますが、その生涯は謎の部分が多いと言われております。
諸説ある中ではありますが、戸田柿本神社が生誕の地とする伝承や、今から1300年前の724年に没し益田市沖合にあったとされる鴨島に祀られたことから、石見が終焉の地であるとも語り継がれております。
いずれにしても、益田市民の皆さまを中心として、柿本人麿は「ひとまるさん」と呼ばれながら愛され、宝とされてきたことはまぎれもない事実であります。
没後1300年を記念して、今一度柿本人麿を地域の宝として周知し、地域振興に活かして行くことを目的に、この度の柿本人麿没後一三〇〇年祭を計画された経緯が、中島謙二実行委員長よりごあいさつの中で紹介されました。
イベントは26日と27日の2日間に渡って、記念講演、ミニコンサート、万葉茶会、ひとまろマルシェ、創作朗読劇、創作神楽、人麿の里全国万葉短歌大会など、盛りだくさんの内容となっており、ご来場の皆さまには「ひとまるさん」を身近に感じながら、思い思いに楽しまれたものと拝察しております。
私は、後に別の用務の関係があり、記念式典への出席と、オープニングの石見相聞歌演奏・合唱を鑑賞させて頂きました。
「石見相聞歌」は万葉集における柿本人麿の代表作と言える和歌です。石見の国を舞台に亡くなった妻との別れの心情を情景あふれる言葉で詠まれた歌に、高橋久美子氏による作曲がなされ、披露されました。
第一楽章から第四楽章の構成のもと、グラントワ弦楽合奏団、島根邦楽集団、グラントワ合唱団による演奏は美しい言葉の一つ一つが情緒豊かに引き立てられ、とても感動的でありました。
柿本人麿は、津和野藩主亀井氏により高津城跡、現在の高津柿本神社に祀られ現在に至っており、本町とってもご縁の深い偉人です。
歴史文化を礎として教育や観光等の地域振興に活かして行こうとする本町とっても、柿本人麿を石見の宝として共有し、大切にしてまいりたいとも考えております。