桑原史成氏が土門拳賞を受賞されました。

隠岐の島を初めて訪れるのに半世紀余を要した。津和野から隠岐までは直線距離で約250q、陸路と海路なら約400qになる。石見は私の郷里だが、津和野を同じ島根県の最西南にある”辺境の地”とすれば隠岐は最北東に浮かぶ”絶海の孤島”でもある。
 小泉八雲で知られるラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hean)が初めて隠岐を訪れたのは1892年(昭和25年)とされる。今から122年も前のことで、西欧人では最初とされる。(彼の紀行文『伯耆から隠岐へ』より)。ハーンは隠岐の住民と接して、日本人がもつ特有な心情を知ったようである。ハーンの著書『怪談』は名作とされている。
 隠岐は、かつて隠岐国で古代には出雲より早く大和国家の朝廷に属していたと考えられる。中世に入って隠岐の島が多くの人びとに知られるようになったのは、承久の乱(1221年)で敗れた後鳥羽天皇(1180−1239)が時の執権・北条義時によって隠岐に島流しにされ幽閉された頃からと考えてもよかろう。
 それから110年後の1331年、後醍醐天皇(1288−1339)も倒幕で挙兵したが捕らえられ隠岐に流された。しかし2年後の1333年に隠岐を脱出、奇跡的な生還を果たし、足利幕府と対峙した。天皇家では、この後醍醐天皇を最後にして政治への抵抗と実権から離れ現代に至っている。
 出雲を仮に”神の国”と呼称すれば、隠岐は”ミカド(帝)の島”とでもいいたい。今年、2度ほど撮影で訪れ漁村などで会った人たちの会話が出雲弁ではなく関西弁であるのに驚かされた。島を離れた若者たちの就職先が直近の松江や出雲ではなく関西経済圏で主に大阪とされる。

                                            報道写真家 桑原史成

 本館は、日夜変貌をとげている国内外のさまざまな出来事を、写真を通じて身近に紹介する場として設置されました。
 その主旨にそって、写真は、一瞬の出来事から忘れてはならない歴史の痕跡までを忠実に記録している報道写真という分野を、本町出身で、報道写真家として第一線で活躍されている桑原史成氏の写真を中心に展示しています。
 私たちの記憶の奥に埋没している歴史の一コマーコマを、来館者の皆さまが、展示写真からその記憶に再現していただけたら幸いです。
桑原 史成写真
桑原史成
くわぱらしせい
        

 
 2013年に優れた作品を発表した写真家に贈られる、第33回土門拳賞に桑原史成氏が選ばれました。対象となったのは、写真集「水俣事件」及び写真展「不知火海 The MINAMATA Disaster」です。
受賞記念写真展が、銀座ニコンサロン(平成26年5月/終了)、大阪ニコンサロン(平成26年6月/終了)、土門拳記念館(平成26年7月/終了)で開催されました。
 
 第4期展「ミカドの島」
H26.12.19〜H27.3.18

SHISEI KUWABARA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY