本館は、日夜変貌をとげている国内外のさまざまな出来事を、写真を通じて身近に紹介する場として設置されました。
 その主旨にそって、写真は、一瞬の出来事から忘れてはならない歴史の痕跡までを忠実に記録している報道写真という分野を、本町出身で、報道写真家として第一線で活躍されている桑原史成氏の写真を中心に展示しています。
 私たちの記憶の奥に埋没している歴史の一コマーコマを、来館者の皆さまが、展示写真からその記憶に再現していただけたら幸いです。

桑原 史成
くわばら しせい
 
 
桑原史成写真展 第2期

『台 湾』
大陸からの台湾侵攻はいつか?

2026.7.17~2026.10.14
※休館日:木曜



                                               
        ©桑原史成 1972
 今回の展示は、『台湾』を展示します。
 
僕が台湾を最初に訪れたのは1967年で、以降は1970年代に首都の台北をはじめ中国の福建省に隣接している金門島、また台湾の原住民を蘭嶼島で撮影した写真なども敢えて展示する。
 日本が台湾を植民地化した経緯も記述しよう。日本が大陸(清朝時代の末期の中国)に軍事侵攻した日清戦争(1894-1895)の戦果での会談、下関条約により台湾が日本に割譲された。以降、太平洋戦争(1945年)までの半世紀に渡って植民地化していたのである。
 いま、台湾の実情は経済の高度成長と民主化された社会で、アジアでは韓国と共に豊かな国(地域)と言って良かろう。経済面で台湾の半導体産業は急成長を遂げ世界で60%のシアーを占める半導体の大国である。
 台湾から近い日本の熊本県(菊陽町)にTSMC (台湾積体電路製造)の工場を進出した事情は「大量の水と人材(労働者)」と言われているが、しかし、その背後には大陸・中国による「台湾侵攻」が風雲急を告げているからである。企業(TSMC)は存亡の戦略で製造工場を分散、つまり資本を安全圏(日本)に移したのである。では、いつ侵攻が勃発するのか(X-day)?。中国共産党の習近平政権は、台湾の軍事面で後ろ盾である米国の動きを虎視眈々と読んでいる、と言って良かろう。以降は桑原の私見だが、台湾侵攻そして陥落は、中国の巨大な空軍、海軍力で数日以内と予測される。


                         報道写真家 桑原 史成
SHISEI KUWABARA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY
 本館は、日夜変貌をとげている国内外のさまざまな出来事を、写真を通じて身近に紹介する場として設置されました。
 その主旨にそって、写真は、一瞬の出来事から忘れてはならない歴史の痕跡までを忠実に記録している報道写真という分野を、本町出身で、報道写真家として第一線で活躍されている桑原史成氏の写真を中心に展示しています。
 私たちの記憶の奥に埋没している歴史の一コマーコマを、来館者の皆さまが、展示写真からその記憶に再現していただけたら幸いです。

桑原 史成
くわばら しせい
 
 
桑原史成写真展 第1期

『水俣病』
公式確認から70年

2026.4.17~2026.7.15
※休館日:木曜



                                               
        ©桑原史成 1977
 今回の展示は、『水俣病』を展示します。
 
僕が大学を終えた年の1960年、一地域の水俣で魚貝類に異変が起き、生命まで奪われる“水俣で奇病”が発生しているという『週間朝日』(1960年5月15日号)の特集記事を目にした時の衝撃を忘れることは出来ない。
 同年の7月14日に、水俣駅前にそそり立つ新日本窒素水俣工場を目前にし、武者震いにも似た感覚が全身を走ったのを思い出す。
 今年は5月に水俣病の公式確認から70年になる。水俣の取材は、他のテーマとの間隙でしばしば足を運び60年余りの歳月が経過した。僕の記録が何程かの爪痕を残すことができたなら、受難を強いられた患者たちからの無数のメッセージが後世に届けられることを望むものである。


                         報道写真家 桑原 史成
SHISEI KUWABARA MUSEUM OF PHOTOGRAPHY